デカい棚に並ぶ漫画と、こじんまりとした棚に並ぶ漫画
イブニングで打ち切りの漫画「BLOOD ALONE」、同人&電子書籍で続きを独自展開へ!
面白いと言っては失礼だけれど、かなり数奇な運命をたどっている作品ですね。
そういえばWBSでも最近、無料電子書籍漫画の特集を組んでいた覚えが。
編集者が居る形での電子出版と、たぶん編集者がいるとは思うけれど、従来のチェックとか行わない、作者の意思が通りやすい電子出版と2通り紹介していたような。
個人的には後者で現在活動しているわけだけれど、前者での活動もあこがれる。
「編集者」の存在は良しにしろ悪しきにしろ、戦後ずっとついてきていた。
良い形では、例えば「進撃の巨人」を発掘した編集者は間違いなく先見の明があったわけだし、WBSで紹介された、既存の雑誌の形態に縛られず、しかし単行本で利益を出すビジネスモデルを構築したキバヤシさんとかの存在は肯定的に捉えても良いのでは?
ただ、悪い例だと間違ったマーケティング等で作者の意図を完全に無視した指示を出しつつ、責任を作者に押し付けるか、かけた梯子を外すとか。
そこまで行かなくても足を引っ張るとか、作者との協力体制に至っていないとか噂は色々聞きます。
読者側からすれば、結果的に面白い作品が出来上がれば、作者・編集者の関係なんてどうでもいいのですけれど、作り手としては気にはなってしまいますね(吾妻ひでをさんの漫画を見ていると、秋田書店が怖い怖い(^^;))。
そんなわけで一人で活動していると、「良い方」の編集者が居たらいいなぁ…と思う時も多々あるわけで(^^;)。
いずれにしろ、作品の発表の場が編集者を通さなければ得られなかった時代と違う、色々な発表の手段+利益に結び付ける手段があるというのはいい時代だと思います。
かといって、「編集者」が不要かどうかというとそうでもないとも。
例えるなら、飲食店や販売にチェーン店というかブランドがありつつ、個人経営もある飲食市場に近くなってきたのでは?今までは画一的な価値観に到達した作品しか見れなかったけれど、癖のある、あるいはニッチなテーマの作品も流通できるようになってきたというか。むしろ今の方が健全か?
そういった多様性を得たと考えれば聞こえはいいけれど、作者側も編集者的スキルが必要になる場も多くなるわけで、何気に色々苦労も増えているので大変でしょうねぇ(他人事ぉぃ)。
ちなみに「BLOOD ALONE」はすみません、読んだことないです(^^;)ぉぃ。
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